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中学生諸君。君はなぜ勉強をしなければならないのか。


[ 2013年3月1日 ] [ jukucho ] [ blog ]

「塾長、オヤジの一喝!」

福沢諭吉の『学問のすゝめ』と言えば、学校で習った”天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず。”この言葉から、「人間は生まれながらにして平等である。」という思想を唱えた書物らしい…と思っている人は多い。私もそうだった。しかし、たまたま書店で見つけた『学問のすゝめ』を読みすすめてゆくと、 とんでもないことが書かれている。

人は学ばなければ智恵が付かない、智恵のない人は愚かな人である。 賢い人と愚かな人の違いは、勉強したか、勉強しないかで決まるものだ。 世の中貧富の差があるけれど、それはただその人に学問の力があるかないかによって違いができるのであって、 生まれながら決まっているわけではない。

と、書かれている。 「人間は決して平等ではない」と書かれている。「幸せになりたかった学問しろ」 と書いてある…。何よりも、学校では、人間は皆平等と習ったのに…なぜこんなことが書かれているんだろう。この福沢諭吉はもともと武士ではないが、学問によって幕府の役人なることができた珍しい人なのだ。江戸時代といえば士農工商がはっきりとしていて、幕末こそその体制は崩れていくのだが、身分を超えることは普通は考えられないことだった。しかし福沢諭吉は学問により身分の壁を超えることができた。今よりもっと厳しい条件の中で。 また

学問とは日常生活で必要とする、いろは四十七文字を習い、手紙の書き方や帳合の仕方、そろばん(計算)の稽古をして基礎学力を高め、そのうえで自分にあった、より高度な学問を目指しなさい。

とも書かれている。 現代の考え方で言えば、小学校・中学校の義務教育がその基礎教育をしっかり学ぶ時期に当たる。基礎学力を高めて、高校に進学して自分のやりたい道を見つけ、その道にすすむ勉強を一生懸命やる。また、より極めたい人は大学に進み専門的なことを学び、研究する。みんなそれぞれ夢があってもいい。勉強が全てではない。大学だって行かなくてもいいかもしれない。勘違いしてはいけないのは、学問と勉強は違うということだ。勉強をいくらしたって人間は幸せになれない。だから学問をしろ、と書いてある。学問と勉強の違いは自分で一度考えてみるといい。今は学問するためには勉強をする期間が必要だということしか伝えられない。  「ルートなんてどこで使う、数学なんて使うとこないじゃん!」「日本に住んでるで、英語なんか勉強せんでいいじゃん!絶対外国へ行かんし。」「社会なんて…」「理科なんて…」と、のたまって勉強から逃げている輩は一生浮かばれなくなるぞ、としか今は言えない。私は私の答えを持っているが、それを言ったところで君たちにはまだ、理解できない。決して人間は平等ではないのだ… だから、今は「しっかり勉強せい!」 受け入れがたい思いも一度飲み込んでしまいなさい。食わず嫌いは自分を小さくするだけです。騙されたと思って精一杯やってご覧なさい。誰も損をしないし、誰も傷つかない。「めんどくさい」や「疲れた」の言い訳に「なんで勉強するのか」を持ってくるのはもうやめよう。


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